No.23 足尾における治山事業による緑の復元
あしおにおけるちさんじぎょうによるみどりのふくげん
番号 | No.23 |
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登録年度 | 2016年度 |
認定対象 | 栃木県日光市足尾地区治山事業地 |
分類・形式 | 林業記念地 |
成立年代 | 明治初期 |
所在地 | 栃木県日光市足尾町赤倉ほか |
所有・管理者 | 関東森林管理局、栃木県環境森林部 |
足尾鉱山は、明治20年代には国内の銅の総生産量の40%近くを占める日本一の銅山へと変貌したが、この近代化の過程で、森林の過剰な伐採が行われるとともに、松木村の大火により1,100ヘクタール余りの森林が失われ、大規模な荒廃地が発生することとなった。1897年(明治30年)、国は東京大林区署(現在の関東森林管理局)及び栃木県・群馬県に対し訓令を発出し、足尾官林復旧事業を開始した。事業はその後、足尾国有林復旧事業と名称を変え、治山事業や造林が続けられたが、煙害被害の終息は困難を極めた。
戦後、治山事業は1947年(昭和22年)に国有林を中心に前橋営林局により再開、1956年(昭和31年)には国と栃木県との間で協議により、現在にいたる役割分担ができる。その後の植生袋・植生土のう・植生マット開発の基礎となった植生盤(土と肥料と種子を混ぜて固めたもの)による筋工やヘリコプターによる航空実播工を本格的に導入し、緑化技術の発展にも貢献した。
こうした取組の結果、昭和31年には約13,000haあった荒廃地(うち激甚荒廃地3,155ha)のうち、民有林、国有林合わせて1,448haの緑が回復し、現在では、降雨後に河川が濁ることがほとんど無くなるとともに、明治から大正にかけて多数発生した土砂流出なども見られなくなっている。長期にわたる治山事業による緑の復元を後世に伝えるため林業遺産として選定する。